鬼滅の刃』鬼より業が深い“人間の愚かさ”

 映画『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』が9月25日に地上波で初放送。10月10日からはテレビアニメ『鬼滅の刃』無限列車編が全7話で放送され、12月5日からは『鬼滅の刃』遊編が控えるなど今再び鬼滅ブームが巻き起こっている

 吾峠呼世晴氏による大ヒットコミックスを原作とした同アニメ。無限列車編では、主人公の竈門炭治郎らと炎柱・煉獄杏寿郎が行方不明者が相次ぐ「無限列車」に乗りこみ、“下弦の壱”の鬼・魘夢(えんむ)と、その後にあらわれた“上弦の参”の猗窩座(あかざ)と激闘。柱である煉獄が文字通りその命をかけて人々を守る姿が描かれた。

無限列車編は原作コミックス全23巻中の第7巻から第8巻にあたるエピソード。その後のコミックスでは敵である猗窩座の人間時代の過去についても詳しく描かれており、その悲しい運命に涙した読者も多いはず。『鬼滅の刃』に敵として登場する鬼たちはもともとは人間で、それぞれに複雑な背景がある。ただの極悪人ではない彼らのストーリーが描かれたことが、『鬼滅の刃』と特徴のひとつでもあるだろう。

 そこで今回は、鬼ではなく人間に傷つけられ悲惨な運命をたどることとなった3人の鬼のストーリーを紹介したい。

まずは煉獄と死闘を繰り広げた猗窩座。江戸時代に狛治(はくじ)という名前の人間だった猗窩座には、貧しい生活の中で病気の父に薬を買うために犯罪行為を繰り返して罪人となり、そのせいで父を自殺で亡くしてしまった過去がある。

 その経験から自暴自棄になった狛治だが、その後師範となる男性に出会ったことで道場の門下生となり、自己研鑽に励むように。そのうちに、病気がちな彼の娘・恋雪と親密な関係となった。ついに一緒に見た花火の下で夫婦となる約束を交わし「命を懸けて守る」と誓った狛治だったが、留守の間に、幸せそうな彼らに嫉妬した隣の道場の生徒が井戸に毒を入れて師範と恋雪を毒殺してしまう。狛治は、『鬼滅の刃』という鬼が人間を脅かす世界の中で、鬼とはまったく無関係のところで愛する者を殺されてしまったのだ。思わず「鬼はどっちだ」とつぶやいてしまいそうなむごさで、猗窩座に同情してしまう人も多いのではないだろうか。彼が強さにこだわる理由も、卑怯なことをする心の弱い人間が許せないという思いがあるのかもしれない。

続いては、鼓屋敷に登場した元十二鬼月の鬼・響凱(きょうがい)。体に埋め込まれた鼓で屋敷を回転させ、炭治郎らを翻弄した鬼だが、彼にはついぞ日の目を見ることがなかった文筆家としての過去がある。 アニメ13話で放送されたミニコーナー「大正コソコソ噂話」では人間だった頃から「里見八犬伝」を好み、自身も伝奇小説を書いていたことが明かされた響凱。鬼となった後も文筆家として生計を立てるために頑張っていたが、周囲からの評価は得られず、空しい日々を送っていた。中には、真剣に書いた作品を酷評し原稿用紙を踏みつけた知人もいたという。

 そんな過去があったためか、彼は戦闘中の炭治郎が畳の上に舞う原稿用紙を避けて着地したのを見てハッとする。その後炭治郎に首を斬られた響凱がいまわの際に発したのは「小生の……書いた物は……塵などではない 少なくともあの小僧にとっては踏みつけにするような物ではなかったのだ 小生の血鬼術も……鼓も……認められた……」という言葉だった。涙を流しながら消えていく彼もまた、自身を尊重してくれた炭治郎に救われた一人だったということだ。

 その人の大切にしているものやプライドを粗末に扱うのは、たとえ相手が誰であっても褒められるものではない。ちなみに、響凱は自身を馬鹿にしたその知人を惨殺したという。

最後は、12月5日からのアニメ放送に向けてますます注目を集める「遊郭編」に登場する“上弦の陸”の妓夫太郎と堕姫。兄妹である二人は生まれたときから不幸な境遇にあった。

 兄の妓夫太郎は母親の梅毒の影響で非常に醜い容姿に生まれ、周囲から蔑まれながら生きてきた。いっぽう大人がたじろぐほどの美貌をもって生まれた堕姫は、13歳になった頃、客の侍の目玉をかんざしで突いて失明させ報復として生きたまま焼かれてしまう。公式ファンブックでは、このとき堕姫が目玉を突いた理由は、客に妓夫太郎を侮辱されたからだったということや、妓夫太郎が、母親による堕姫への暴力から彼女を救っていたことが明かされており、二人がお互いを思いやる兄妹だったことが分かる。

 

「何も与えなかったくせに取り立てやがるのか 許さねえ!」と咆哮する妓夫太郎はその後“上弦の弐”の童磨に出会い鬼になる。どこまでも不幸だった二人が唯一この世で見つけた居場所が、鬼になることだったと考えると切なすぎる。

 ときには鬼よりもむごい行いをする人間たちの業の深さを随所に感じるエピソードの数々。鬼の行動はもちろん賛同できるものではないが、彼らは鬼といえど、必ずしも絶対悪とは言い切れないのではないだろうか。