教員の犠牲となったこどもたち

今にも忘れ消されそうな凄惨な悲劇があります。

全校児童108人のうち校庭に残った74人が犠牲となってしまった大川小学校。

震災で学校の管理下によってなくなった事件。

逃げたくても止められ動けなかった。どれだけ怖かったことか。そして家族はどれだけ悲しみを背負ったのか。

当時の状況を証言できる人間がいないし未だ真相は明らかでないけど

私は明らかに人災と思います。

 

児童の一部が「裏山に逃げよう」と訴えたのに、それを訴えた教頭もいたのに、この場所に避難していた住民と地区長がわざわざ津波の来る方向に避難させたのです。生き残った児童の証言では、津波が来るから高い山に避難しようといった教頭に対し、ここまでこないという区長と住民との間に口げんかになっていたようです。

「落ち着け 動くな、」大津波警報が出されてから50分もの間、校庭に待機させられていた児童たち 高台に向かおうとする生徒を戻りなさいとの事実!

検証して、語り継いでいかなければなりません。避難訓練とか受けたことはないけど、遭難事故でも結局は自分の本能に従って動くべきですね。



真実への追求

 

生存者14歳少年が証言する3・11大川小の過ち

女性自身 配信

 東日本大震災の大津波で全校児童108人のうち74人の児童が死亡・行方不明となった、宮城県石巻市立大川小学校。地震発生の午後2時46分から津波到着の3時37分までの51分間に、いったい何が起きたのか――。

 自分の体験を震災直後から語り続けている子供がいる。長女の未捺(みな)ちゃん(享年9)を亡くした只野英昭さん(42)の長男、哲也くん(14)だ。あの日、津波に遭遇し奇跡的に生還した児童4人のうちの1人である。

「まずは、私が哲也から聞いてきたことを、ありのままにお伝えしたいと思います」と、只野さんは言って、“消し去られようとしている51分間”の再現が始まった。

 ’11年3月11日午後2時46分ごろ、「帰りの会」が行われていた小5の哲也くんの教室を強い揺れが襲った。机の下に避難しながら、哲也くんは祖父の弘さん(享年67)の口ぐせを思い出していた。「地震来たら、山さ逃げろよ」。

 その後、担任とともに校庭へ避難。「下級生には、吐いている子もいて。先生たちはたまって『どうする、どうする』ってなってて」。児童たちを校庭に座らせたまま、時間は過ぎていく。「早く山に行ったほうがいいんじゃないか。先生、何やってるのかな。先生が言わなきゃ、移動できないしな」。

 前後して、一部の保護者への引き渡しが始まり、このとき哲也くんの母親のしろえさん(享年41)が、いったん校庭に迎えに来ている。しかし、「忘れ物を取ってくる」と再び車で自宅に戻った。それが、元気な母の姿を見た最後となった。

「それから、50分くらいだっけ、けっこう時間がたって、『じゃあ、移動しましょう』ってなって」。河北総合支所の職員の「松原を津波が越えてきました」という声を聞いて、教師たちは山ではなく、河川堤防近くの「三角地帯」へと子供らを誘導し始めた。この、結果的に危険な避難先を選んだ理由についても、第三者検証委員会の最終報告書(今年の2月23日)に明確な記述はない。

「おい(俺)は、てっきり山に行くと思っていたけど、もう進んでいたので、『まっ、いいか』って。公民館の前あたりに来たとき教頭先生が戻ってきて、『津波が来たので、早く移動してください』と言われて、小走りで山沿いの道を、民家の間を抜けて県道へ出ようとした。そのとき、波がこぼれてくるのが見えて。家が爆発したと思って、砂煙がパーッと上って、なんだかわかんないけど、『逃げなきゃ』と思って、逆戻りしていた」

 パニック状態で周囲まで気遣う余裕はなかったと、素直に打ち明ける。「波が来たときは、腰を抜かして動けない人もいたけど、自分が助かりたいというのしかなくて、走っていって。後ろのみんなは『なんで、戻ってきたんだよ』という感じで見ていたけど、ジェット機の爆音のような音のせいで、口をパクパクしているのしかわからず、でも、おいは上っていって」

「指を土に突っこんで山を上っていった。ベチャベチャな雪の斜面で、登れない人もいた。3~4メートル登って後ろを振り向いたとき、まだ波がそんなに来ていなかったから、『逃げれる』って思ってもう1回前向いたとき、いきなり後ろから押し倒されるように津波にのまれて、気絶した――」

哲也さんは慌てて来た道を引き返し、裏山へ駆け登る途中、津波にのみこまれて意識を失った。しばらくして、山腹に埋まっているところをクラスメートに助け出された。一方、児童78人中74人、教職員11人中10人が命を落とす大惨事となった。

 

「校庭で先生たちはラジオを聴きながら話し合いをしていた。6年生が『山に逃げよう』と言い、先生も『山へ行くか』と言っていたけど、結局山に登らずに移動を始めた。(自分は)山でもいいんじゃないかって思っていたけど、勝手に行動できないんで……」(哲也さん=2013年の取材時)


 哲也くんは土に半分ほど埋まっていたところを奇跡的に助けだされた。

津波から助かった大川小の哲也さん(22) 11年間の苦悩と、母校や妹への思い

 

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